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 新型コロナウイルスによる長期の外出制限などが続いてきましたが、いよいよ少しずつ制限が解除されてきました。そこで話題になってきているのが、再び大学へ通学したり、対面授業が始まったりすることに対する不安や抵抗感、憂鬱感がおこっているかもしれません。インターネットでは「コロナ後うつ」「学校再開うつ」「出勤再開うつ」などの言葉がいろいろ踊っていますね。

1.「適応」からみた「登校再開」

 「適応」とは、私たちが遺伝と経験をもとにして,「物理・社会環境との間で欲求が満たされ,さまざまな心身的機能が円滑になされる関係を築いていく過程や状態」を指します。

 少し思い出してみましょう。新型コロナウイルスの感染拡大のニュースがだんだん増えてきて、自粛モードになってきました。今後どうなるんだろうか、不安だったと思います。新入生は入学式もなくなり、しばらくしてやっとオンラインでの講義やゼミがスタートしました。サークルに入ろうと思っていたり、友人を作ろうと思ったりいろんな形でエンジョイしようと思っていた大学生活は、想像もしない形でスタートしましたね。在校生や大学院生にとってはいつまでも授業が始まらず、勉強や研究が大丈夫なのかな、就活をはじめ卒業はできるんだろうか、などいろいろ心配があったのではないでしょうか。

その中でいろいろな外出の制限、人に会えない、閉塞感など、大変だったかと思います。しかし、最近では、家の中でオンライン授業を受けて、外出も減り、あまり人と話をせずにきた生活は、だんだんそれが当たり前になり、自粛が始まった頃にくらべて、不自由はたくさんあるとはいえ、新しい日常になっているのではないでしょうか。

新型コロナウイルスが感染拡大しているときに、みなさんはその環境に少しずつ「適応」していったと言えます。でも、今度は感染が収束方向に向かった時は、「登校」することが当たり前になり、求められる活動などについての環境が一気に変わっていきます。一度ある環境に「適応」したものをまた別の環境に「適応」することは、新鮮で楽しみもある一方で、古い習慣を残そうとする心や体のエネルギーがかかるもので、疲れや苦痛を感じるのが普通です。

2.「 過剰適応」に気をつける

 新しい環境に適応する時、時々行き過ぎた形で「適応」しようとすることがあります。それを心理学では「過剰適応」と呼びます。特にもともと「真面目,頑張り屋,頼まれると嫌といえない,相手の期待に沿う,周囲に気を使う,いい子」である場合には、この傾向が強くなります。行きすぎた形で適応しようとがんばる時にある背景の気持ちには「自分はちゃんと環境になじめているだろうか」「他の人の期待にそえているだろうか」「自分の振るまいは100点だろうか」などの不安を感じていることもあるでしょう。そんな気持ちがプレッシャーになり、ますます学校再開が不安になることもあります。

   

3.新しい環境、久しぶりの環境には、ゆっくり、少しずつなじんでいこう

 私たちにとって、実は生活する環境が変わることはよくあることです。新しい環境、久しぶりの環境に適応するには、適応を急いで不安にかられて焦らずに、ゆっくり、自分のペースで少しずつなじんでいっていいのです。余裕をもって、休息をとりながら、全体の様子を時々俯瞰しながら、新しい環境に適応していきましょう。また、自分の気持ちを言葉にすると焦りが落ち着くこともあるので、時々誰かに話したり相談してみて、心の重荷をおろしましょう。

<参考文献>

浅井継悟(2012)日本における過剰適応研究の研究動向 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第60集・第 2号(年)

岩﨑眞和・五十嵐透子 青年期の過剰適応と大学適応感の関連 茨城キリスト教大学紀要第52号93 社会科学 93-101

文責:常勤カウンセラー 福盛

※この文書の著作権は、九州大学キャンパスライフ・健康支援センター学生相談室に帰属します。

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